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京都地方裁判所 昭和62年(モ)437号 判決 1988年9月28日

申請人

村西博次

長谷川英一

右両名訴訟代理人弁護士

川中宏

森川明

荒川英幸

村山晃

稲村五男

吉田隆行

竹下義樹

岩佐英夫

中尾誠

中村和雄

高山利夫

被申請人

日本国有鉄道承継人日本国有鉄道清算事業団

右代表者理事長

杉浦喬也

右訴訟代理人弁護士

天野実

右指定代理人

福田一身

北村輝雄

橋本公夫

主文

一  京都地方裁判所昭和六二年(ヨ)第一四九号仮処分申請事件につき、当裁判所が同年二月一八日になした仮処分決定を認可する。

二  訴訟費用は被申請人の負担とする。

事実

第一当事者双方の求めた裁判

一  申請人ら

主文同旨。

二  被申請人

(一)  主文第一項掲記の仮処分決定(以下、本件仮処分決定という)を取り消す。

(二)  申請人らの本件仮処分申請をいずれも却下する。

(三)  訴訟費用は申請人らの負担とする。

第二当事者双方の主張

一  申請の理由

(一)  当事者

1 申請人村西博次は、昭和五二年二月に、同長谷川英一は、昭和五三年四月に日本国有鉄道(以下、国鉄という)に入社し、いずれも梅小路駅において構内指導係として勤務していた。

昭和六一年七月当時申請人村西は「切り方」(貨車の入れ替え作業)を、同長谷川は「空気制動方」(空制)(貨車のエアホースの解結作業)を担務としていた。

2 被申請人は、日本国有鉄道清算事業団法(昭和六一年法律第九〇号)に基づき国鉄の各種承継法人に承継されない資産、債務等を処理するための業務等を行う目的で設立された法人であり、昭和六二年四月一日国鉄の本件訴訟の当事者たる地位を承継した。

(二)  懲戒処分の存在

国鉄は、昭和六一年一〇月一六日付で申請人両名に対して「日本国有鉄道法第三一条により六月停職する」旨の懲戒処分を発令した。

その懲戒事由とは「昭和六一年七月一三日一七時二九分ころ、勤務時間中管理者の注意を無視して勤務を放棄し、よって業務の正常な運営に支障を与えたことは職員として著しく不都合であった」というものである。

しかしながら、右懲戒処分は次に述べるとおり無効である。

(三)  本件の事実経過

1 「人材活用センター」(以下、人活センターという)の設置から七月一二日まで

(1) 国鉄は、昭和六一年七月一日「職々第二一一号」に基づき国鉄梅小路駅に人活センターを設置し、同月五日から第一次分の五名の職員に対し、同月一〇日以降の人活センター担務指定通告を行ったうえ、七月一〇日二名、七月一一日一名、七月一二日二名の各職員を一方的に人活センターに収容した。

(2) ところで、職員らの勤務体制は、毎月二五日に翌月分の勤務予定表が公表されることによって明らかになるが、現場当局は、一方的な人活センターの設置及び五名の職員に対する担務指定を行いながら、本年六月二五日に公表した七月分の勤務予定表について再編成等の措置を行わず放置しておいた。

(3) このため、申請人両名の職場においては、たちまちに七月一〇日から、人活センターに収容された職員の勤務の補填を要することになり、この補填のために勤務変更が乱発されるという異常な状態が発生した。

まず七月一〇日には人活センターに収容された饗場範男、園秀樹両名の勤務の補填のために茂岡淳一、森神一男に対して勤務変更がなされ、同月一二日には同じく大久保輝男の勤務の補填のために高塚博に対して勤務変更がなされた。

2 七月一二日及び一三日の経過について

(1) 申請人両名の勤務は、七月一一日に一昼夜交代勤務(以下、徹夜勤務ともいう)、一二日は非番、一三日が日勤で、一四日にまた一昼夜交代勤務ということになっていた。

梅小路駅の猪之俣助役は、七月一二日午後二時ころ申請人村西の当時の自宅へ電話してきて、一三日に徹夜勤務をしてもらえないかと意向を打診してきたが、同人は一三日の晩は大事な用があるからといってことわった。

藤井武元助役は、七月一二日の夜中一一時前ころに申請人長谷川の当時の自宅へ電話してきて、一三日切り方で徹夜勤務をしてもらえないかと頼んできた。同人は、昭和五九年二月のダイヤ改正以降空制の仕事のみをしていて切り方は二年間もしていないのだから非常に危険があること、それに一三日の晩は用事があるから徹夜は出来ないこと等をいってことわった。

申請人両名に対して右にのべた以上の説得あるいは要請等のことは何もなされなかった。

(2) ところが、七月一三日朝申請人らが出勤してみると、申請人村西の勤務は切り方の徹夜勤務、申請人長谷川は空制の一昼夜交代勤務に変更されていた。

申請人らが右のことを知ったのは、助役に命令されたからでなく、たまたま点呼表や人員配置表を見たからである。申請人らの一三日の勤務はいわゆる待命日勤であるため西部運転室で点呼をうけたが、本務に就く者は仕事の総合引継ぎがあるため必ず全員が一括して輸送本部で点呼をうけることになっていた。申請人両名に対し右勤務変更が明確に命令されたことはないし、従ってまた輸送本部で点呼を受けた事実も受けるように指示された事実もない。

(3) 申請人村西は、昭和六一年四月婚約し九月一九日結婚式をあげることになっていたが、一三日の晩は婚約者の家へ行って結婚式や新婚旅行等の打合せをし、その家族と一緒に食事をすることになっていた。

申請人長谷川は、高校時代の友人から会社をやめるかどうかについて相談にのってほしいともちかけられ、一三日午後六時三〇分に大阪梅田で待ち合わせをしていた。

(4) 申請人らに右当日助役たちに対し右に述べたように欠かせない用事があること、このように無理な勤務変更がなされるのは饗場ら国労組合員を人活センターに収容しているからであり、人活センターへの配属は直ちに取り消すべきであること、少なくとも夜勤のできる条件のある者が人活センターの中にいるのだからその者に夜勤を命じたらすべての問題が解決すること等を申入れた。

そして、就業開始時間になって、申請人村西は日勤だけをする旨言って、切り方の仕事についた。申請人長谷川の場合は、藤井助役の了解のもとに申請外西川辰美が空制の徹夜勤務につき、切り方には藤井助役に言われて申請外井ノ口良孝が入ったため申請人長谷川は、本来の待命日勤をした。

(5) 申請人両名は、終業時間の五時一〇分が過ぎたので退社した。

(四)  本件懲戒処分の無効

本件懲戒処分は、申請人両名の勤務が日勤から一昼夜交代勤務に変更されたことを前提としてなされたものである。しかしながら、申請人らに対する勤務変更の業務命令は、次に述べるように効力を生じていないので、本件懲戒処分はその前提を欠き違法無効である。

1 勤務変更業務命令の無効

国鉄の職員服務基準規程によれば、申請人らの従事している勤務種別では、

<1> 勤務予定表は、毎月二五日までに翌一箇月分を作成し公表する。

<2> 勤務は四日前に確定する。

<3> 勤務確定後、やむをえない場合は、本人の生活設計を十分配慮して勤務の変更を行うことができる。

と定められている(第三三条)。

(1) いったん確定した勤務の変更は、「やむをえない場合」でかつ「本人の生活設計に対する十分な配慮」がなされることを要件としていることは前記のとおりである。被告が作成した勤務に関する諸問題では、勤務当日に行う勤務変更は、「本人の生活設計に対して最大限の配慮を行うなど、慎重に行うこと」を要求している。

申請人らに対する勤務変更の業務命令は、右のいずれの要件をも欠くのに業務命令権を濫用してなされたものであるから無効である。

(2) 本件勤務変更の事由は「やむをえない場合」に該当しない。

本件勤務変更が必要となったのは、前述したように、国鉄が七月一日梅小路駅に人活センターを設置し、ここに多数の国労組合員を収容したことを原因としている。具体的には、七月一〇日より人活センターに配属された饗場範男、園秀樹に割りふられていた一昼夜交代勤務の穴埋めのためである。

人活センターに国労組合員を配属することは、業務上の必要性を欠き、国労組合員を不当にも選別し差別するためのものであって違法無効である。国鉄がかかる違法無効な業務命令を発し、かつそれに固執しているために生じた一昼夜交代勤務者の欠落は「やむをえない場合」に該たらない。被申請人が右違法無効な業務命令を撤回すれば解決することだからである。

また、国鉄が前記饗場、園らを七月一〇日より人活センターに配属する旨を決定し通知したのは七月五日からであり、七月一〇日以降の勤務が未だ確定する前のことである。被申請人はその時点で七月一〇日以降に饗場、園に割りふっていた一昼夜交代勤務に穴があくことを確実に知りえたわけであるから、勤務変更の措置はその時点で十分とれたのである。

勤務日当日に急拠勤務変更を命じなければならないような突発性、緊急性は何も発生していないのである。したがって「やむをえない場合」には到底該当しないのである。

(3) 申請人の生活設計については何の配慮もなされていない。

ア 申請人村西が七月一三日の晩に勤務できなかった事情は、前述したとおり、結婚を控えて結婚式や新婚旅行の打合せをしながら家族と食事をすることになっていたのであり、ある意味では同申請人の人生にとって何よりも大事な用事であるといって差支えない。申請人長谷川は、高校時代からの親友から勤め先をかえるかどうかにつき悩んでいるので相談にのって欲しいともちかけられ当日午後六時三〇分に大阪梅田で待合せしていたのであり、当日朝急に勤務変更を言われても連絡がつかない状態にあった。親友の悩みが深刻なだけにその相談にのることは申請人長谷川の友人関係において特別重要な意味をもっていた。

被申請人は、申請人らが大事な用事があるといっても、その内容を聞こうとすらしなかったのであり、申請人らの生活設計に対する配慮などははじめから無視していたと言わざるをえないのである。

イ 七月一三日の徹夜勤務が可能な者は申請人両名以外に現に存在していた。すなわち人活センターに配属された饗場、園はその日担当助役に夜勤をしてもよい旨を申入れていたのであるから、右両名に業務命令すれば何も問題は起こらなかったのである。人活センターへの配慮は担務指定であるというのが被申請人の主張なのであるから、右両名を従来なしていた職務に従事させることについて就業規則上の支障は何もないのである。

また、日曜日の夜は一番仕事量が少ないときであるから、助役で対応することもできたのである。現に梅小路駅東部運転室では二名の欠務者が出たため二名の助役が勤務について対応している。東部運転室で出来たことが西部運転室でできないことはないのである。

以上のとおりであるから、前述したとおり、大事な用事をかかえていた申請人両名に対して勤務変更の業務命令を出さなければならない業務上の必要性はないのである。

2 勤務確定後の変更は、労働基準法三二条二項(昭和六二年法律第九九号による改正前のもの、以下、同じ)に違反し許されない。

前記のとおり申請人らの勤務時間は四日前に確定をする。その後にこれを変更すること、とりわけ当日になって一方的業務命令でこれを変更することは、労基法三二条二項に違反し許されない。

労基法三二条二項は、使用者が就業規則その他により四週間を平均して一週間の労働時間が四八時間をこえない定をした場合においては、その定により、特定の日において八時間をこえて労働させることを認めている。

本項は一項の「一日八時間、一週間四八時間」の原則の例外であり、従って就業規則その他の定も労働者保護の見地から厳格に解されなければならない。四週間を平均して一週四八時間であれば使用者が自由にいつでも八時間をこえて労働させることを認めるものではなく、あらかじめ就業規則などで八時間をこえて労働する場合などについて具体的に時間や日が特定されていなければならないのである。

その趣旨は、労働者が就労するに当って、労働条件のもっとも基本的なものの一つである就労時間を明確にし、使用者が任意に労働を強制することを排除することにある。

いったん労働時間が具体的に特定した後に、業務の都合によって使用者が自由に勤務時間を変更し、八時間をこえて労働させることができるとするならば、右の趣旨は全く没却されてしまうことになる。従ってこのようなことは許されない。

とりわけ本件の如き、当日になって勤務変更を命じ一昼夜交代勤務を命じることは、著しく労基法三二条二項に違反し、明らかに無効である。

3 勤務変更業務命令の不存在

申請人両名の七月一三日の勤務は、四日前である七月九日に日勤と確定している。この確定した勤務を変更する場合には、右の定めからも明らかなように「やむをえない場合」と「本人の生活設計に対する十分な配慮」とが必要である。本件の場合勤務の変更を命じる業務命令が申請人両名に対してなされた事実はない。いったん確定をした勤務を変更する業務命令は、その変更の理由とともに職員に対し明確に伝えられなければならないことは言うまでもないことであるが、本件の場合申請人両名に対し右のような業務命令はなされていないのである。

従って、申請人らの勤務は、一昼夜交代勤務に変更されていないのであるから、一昼夜交代勤務を前提とした本件懲戒処分はその事由を欠き無効である。

4 勤務変更業務命令の撤回

もし仮に、勤務変更の業務命令がなされたとしても勤務開始時点で撤回されている。

すなわち、申請人村西は、日勤だけしか勤務できないことを明言して作業に従事したが、梅小路駅当局は、これを受領するのに何の異議も述べず了承した。

申請人長谷川の場合は、同申請人に割りふられた空制の徹夜勤務には駅当局の了解のもとに申請外西川辰美が入り、同人に予定された切り方は駅当局の指示で申請外井ノ口良孝が作業した。従って、申請人長谷川が空制の徹夜勤務をする必要はなくなり、この時点で勤務変更の業務命令は撤回されたものである。

従って、前項で述べたところと同じく、申請人両名の勤務が一昼夜交代勤務に変更されたことを前提とする本件懲戒処分はその事実が存在しないのであるから無効である。

5 処分権濫用による無効

仮に百歩譲って本件業務命令が有効であったとしても、停職六月という本件処分は、申請人らの当該行為との均衡を著しく失しており、社会通念上も異常なものであるから、処分権の濫用として無効である。

本件停職六月の処分は、免職に準ずる極めて苛酷なものであり、停職処分は職員の出勤を禁止して就労を拒否するものであるから、それに伴う職員の身分的・人格的・職業的不利益は重大であって、厳格な制限がはかられねばならない。これを申請人らについて言えば、停職六月の処分は昭和六二年四月に発足する新会社要員として不適格であるとの烙印を押すに等しく雇用・身分上の不利益は甚大である上に、それでなくても、申請人らの職場が熟練とダイヤ等の知識が要求される危険な現業機関であることを考えるならば六月もの期間職務につけないことは復職を著しく困難にするものである。

また、国鉄の事実認定に重大な誤りが存在することである。国鉄の処分事由では勤務時間中勤務を放棄したとなっており、申請人らが徹夜勤務についていたことが前提になっている。しかし、事実はそうでない。申請人村西は藤井助役に対して日勤だけはする旨言って日勤の業務につき、また申請人長谷川は申請外西川が空制の仕事についたため行うべき仕事がなくなり本来の「待命日勤」をしたのである。かような重大な事実認定の誤りにもかかわらず停職六月という処分を強行することは裁量権の逸脱以外の何ものでもない。

国鉄は、申請人らが退社したことによって何らの実害が発生しなかったことを認めながら、かかる苛酷な処分を強行しようとすることは明白な処分権濫用であって無効である。

(五)  保全の必要性

申請人両名は、本件停職処分発令により発令当日から仕事に従事しておらず、給与は、基本給の三分の一しか支給されていない(就業規則第一〇三条三項)。申請人両名は、賃金を唯一の資金とする労働者であるから、毎月の収入が基本給の三分の一になったのでは生活を維持していけないことは明白である。

よって、右三分の一の金員と本来支払われるべき金員との差額分の支払を求めて本件仮処分申請に及んだ。

二  申請の理由に対する認否

(一)  申請の理由(一)1の事実はいずれも認める。

(二)  同(二)の事実中申請人両名に対する懲戒処分が無効であるとの主張は争い、その余については認める。

(三)  同(三)1(1)の事実は認める。

(四)  同(三)1(2)の事実中職員らの勤務体制が毎月二五日に作成公表される翌月分の勤務予定表によって明らかにされること、昭和六一年七月一三日までの勤務予定表の再編成を行わなかったことは認め、その余については争う。

(五)  同(三)1(3)の事実中七月一〇日から勤務変更が乱発されるという異常な状態が発生したとの点は否認しその余は認める。梅小路駅では月平均一〇件程度、勤務確定後に勤務変更がなされており、本件人活センター配置に伴って勤務変更が乱発されたとか、それが異常な状態というのは当たらない。

(六)  同(三)2(1)の事実中申請人両名の勤務が七月一一日に一昼夜交代勤務、一二日は非番、一三日は日勤、一四日は一昼夜交代勤務であったこと、猪之俣助役が同月一二日申請人村西の当時の自宅に、藤井武元助役が同日申請人長谷川の当時の自宅に電話したことは認め、その余の事実は否認する。

(七)  同(三)2(2)の事実中昭和六一年七月一三日の申請人両名の勤務が一昼夜交代勤務に変更されたことは認め、その余の事実は否認する。同人らに対しては明確に勤務変更が命ぜられている。

(八)  同(三)2(3)については不知。

(九)  同(三)2(4)の事実中申請人ら国労組合員が助役らに勤務変更に関して申し入れをしたことは認める。申請人らの七月一三日の作業内容については不知。

(一〇)  同(三)2(5)の事実は認める。申請人らは、助役の説得に応じず、当日午後五時二九分ころ職場を離脱したものである。

(一一)  同(四)前文の事実中申請人らの勤務が日勤から一昼夜交代勤務に変更されたことは認め、懲戒処分が違法無効との主張は争う。

(一二)  同(四)1前文のうち職員服務基準規程ではなく、就業規則細則職員勤務基準規程三三条に申請人ら主張の規定があることは認める。

(一三)  同(四)1(1)の事実中勤務確定後の変更の要件については認め、その余は争う。

(一四)  同(四)1(2)の本件勤務変更の必要性については認め、その余については争う。

人活センターの設置及び同所への職員の配置は、被申請人において多数の余剰人員が発生する切迫した状況の下で、これを集中して一括管理しその効率的運用をはかるための合理的な措置として実施したものであって、それが違法無効であるとの申請人らの主張は明らかに失当である。本件勤務変更は、人活センターへの職員の配置という当局の施策の実施のため、業務上その補填が必要となったことによるものであるから、「やむをえない場合」に該当することは明らかである。

(一五)  同(四)1(3)アの事実中申請人両名が当日夕刻以降所用があったことは不知、申請人らがそのことを被申請人管理者に告げたことは否認する。

したがって、申請人らの生活設計に対する配慮がなされていないとの主張は争う。後述するとおり、申請人らは、被申請人管理者が七月一三日の一昼夜交代勤務を求めた際、特に理由を述べずにこれを拒む態度を示したのであって、申請人らが本仮処分申請書で主張しているような事情は一切説明していない。むしろ申請人らがこれを拒んだ理由は人活センター設置に反対していたことだけであることを窺わせる態度であった。申請人らが、人活センターに配置された職員の補填のための勤務変更に応じなかったのは、もし応じれば、人活センターの設置及び配置を進めていた当局に結果として協力することになると判断したからとみられるのである。

(一六)  同(四)1(3)イの主張中申請人らは、人活センターに配置された申請外饗場、同園の各職員に一昼夜交代勤務を命じればよかったと主張するが、本件勤務変更の必要が生じたのは、右両名を人活センターに担務指定したことによるものであるから、右主張自体失当である。

また、梅小路駅東部運転室では、当日二名の欠務者が出たため助役が勤務についた旨主張するが、二名の欠務者の代務は運転主任が行っている。

申請人両名に対して勤務変更の業務命令を出す必要がなかったとの主張は争う。

(一七)  同(四)2については争う。申請人らは労働基準法三二条二項違反をいうが、被申請人の職員で特殊日勤または一昼夜交代勤務に就くものについては、同法四〇条及び「労働基準法施行規則の一部を改正する省令の一部を改正する省令」二条の「当分の間法第三二条二項の規定にかかわらず、一二週間を平均して一週間の労働時間が四八時間を超えない定めをした場合には、その定めによって労働させることができる。」旨の規定が適用されるのであり、同法三二条二項はそのまま適用されない。なお、右「定め」に該当する被申請人就業規則細則職員勤務基準規程第二八条は「一昼夜交代勤務の労働時間は、四週を平均して一週平均四七時間を基準とする」と定めている。

申請人らは当日の勤務変更は、同法三二条二項に違反すると主張する。しかし、申請人らが自認するとおり、国鉄においては前月二五日に作成・公表される勤務予定表により翌月の勤務が特定され、その勤務は四日前に確定するが、勤務確定後もやむを得ない場合には、本人の生活設計を十分配慮して勤務の変更を命ずることができる(同規程三三条)のであり、当日であっても右要件を満たせば勤務変更のできることはいうまでもない。

(一八)  同(四)3の事実中被申請人の就業規則細則職員勤務基準規程三三条に申請人ら主張の規定があること、申請人両名の七月一三日の勤務が同月九日に確定したことは認め、その余は争う。申請人らに対して勤務変更が命じられていることは明らかである。

(一九)  同(四)4及び5については争う。

(二〇)  同(五)の事実中申請人両名が本件停職処分発令の日から勤務していないこと、停職期間中の給与が基本給の三分の一であること及びその金額は認め、その余は争う。

三  被申請人の主張

(一)  申請人らの勤務していた梅小路駅における勤務体制について

国鉄は多種多様な輸送需要に応ずるため、その業務内容も複雑多岐にわたっており、当該業務の実情に応じて勤務体制が定められていた。国鉄の勤務種別としては日勤、夜勤、一昼夜交代、三交代、特殊日勤等があり、梅小路駅の主要な業務である貨車の入換業務は、手待時間が長く比較的労働密度が薄いところから、一昼夜交代勤務が選ばれていた。即ち職員はある日の午前八時三五分から翌日の午前八時三五分まで拘束され、その間貨物列車等が入線したときには、貨車の入換等の実作業に携わっていたのである。なお一昼夜交代勤務とは「連続二四時間の勤務と連続二四時間の非番とを交互に繰り返すものをいう」とされており、非番の日なしに一昼夜交代勤務が連続することはない。

国鉄の合理化・近代化施策の実施に伴い、全社的にみて各現場には所要員を超える多数の余剰人員が発生し、殊に需要が激減した貨物部門においてその傾向が顕著であった。本件梅小路駅もその例外ではなく、多数の余剰人員が存在したため、駅職員が一昼夜交代勤務の本来業務に従事するだけでは、一人当たりの労働時間が極めて短かくなることから、労働時間を確保するため一昼夜交代勤務とは別に日勤勤務を設定し、職員は日勤勤務の日には貨車の入換等に従事することなく、国鉄の福利厚生施設である弥生会館の顧客名簿の作成及び構内環境整備等の業務にあたっていた。

(二)  人活センターの設置及び職員の配置について

人活センターは、昭和六一年六月二八日大阪鉄道管理局長の通達によって各現業機関にその設置が指示され、本件梅小路駅でも同年七月一日設置された。同駅では同月一〇日から一二日にかけて(第一回目)、及び同月一七日から一九日にかけて(第二回目)の二回に分けて人活センターへの担務指定を行うこととし、第一回目分として同月五日に西部運転所属の饗場範男、園秀樹に対して、同月六日に輸送本部所属の上野浩一、西部運転所属の大久保輝男に対して、同月七日東部運転所属の苗村善則に対してそれぞれ事前通知を行った。そして第二回目分の者に対しては同月一二日から一四日にかけて事前通知を行う予定であった。

申請人らが主張するとおり、同駅においては毎月二五日に翌月の勤務予定表が作成公表されることになっており、同年六月二五日にも勤務予定表が公表されていたのであるが、右のとおり人活センターの設置及び配置は右勤務予定表の公表後実施されることになったため、人活センターへの担務指定がなされた職員の勤務については、その補填をする必要が生じたものである。

同駅では右のとおり二回に分けて人活センターへの担務指定を行う予定であり、その都度勤務予定表を組替えると、勤務予定の安定を欠くこととなるため、当初は第二回目の事前通知の終了後に勤務予定表の変更を行うこととし、それまでは、必要最小限の個別の勤務変更で対処するつもりであった。ところが、同月八日以降申請人らの所属する国労組合員が集会や管理者に対して抗議を繰り返す事態となったため、やむなく同月一一日に同月一五日以降の勤務予定表の変更を行い、第二回目の人活センターへの担務指定はこれを延期することとした。

七月一〇日から同月一三日までの勤務変更が、勤務確定後になされたのは、右の事情によるものである。

(三)  申請人らに対する勤務変更について

1 同月一二日の状況

申請人らの属する西部運転では、同月一三日に当時人活センターに配置されていた饗場範男及び園秀樹の担務の補填をする必要があり、同所の助役はまず同月一二日午後〇時五〇分ころ申請人村西の自宅に電話して、同申請人に対して翌日一昼夜交代勤務をするよう求めたところ、同申請人は「明日俺は日勤や、俺の所へ電話するのはお角違いや、尻ぬぐいしたら皆に笑われる。」と答えて同申請人の方から電話を切り、助役の求めに応じない態度を示した。次いで申請人長谷川に対しては、同日午後九時四三分ころ同申請人宅に電話して、翌日西入換の切方で徹夜勤務するよう求めたところ、同申請人は「何で俺が徹夜をせなあかんのや、切方は長い間やってないのでできない、空制ならともかく、何で俺が切方をせなあかんのや、とにかく徹夜はだめだ、日勤で出勤する。」と答えて一方的に電話を切った。

同所の助役らは、勤務確定後の勤務変更は本人の生活設計等に十分配慮しなければならない旨の定めがあることを承知しており、申請人らを含めて翌日に勤務が可能な者と連絡をとるなどして、翌日に徹夜勤務を命じる者の選定を検討したところ、申請人両名は特に予定があることを告げず、単に徹夜勤務を拒否するだけの態度であった。そこで同所の助役らは、申請人両名には特段の生活設計上の障害はないものと判断し、翌日の饗場、園の勤務の補填は右の事情を総合して申請人両名を勤務変更することにより、対処することにしたのである。

なお六月二五日公表の勤務予定表では、制動長・饗場範男、制動方・山本勝美、切方・園秀樹、空制A・西川辰美、空制B・杉本幸正であったが、七月一三日の担務は、制動長・山本勝美、制動力・申請人村西、切方・西川辰美、空制A・申請人長谷川、空制B・杉本幸正とすることとした。

2 同月一三日の状況

同月一三日午前八時二〇分ころ、同駅西部運転詰所に申請人長谷川が出勤し、「昨日の電話は何や、」などと抗議したが藤井助役は、昨夜電話したとおり徹夜勤務をするように求めた。そこへ申請人村西が助役室に入ってきて、点呼表を見て「助役、今日の俺の勤務が何故徹夜になっているのや。」などと抗議をした。同助役は同申請人にも同様に徹夜勤務を求めたが、両名は当日は日勤である旨主張したので、同助役は八時三一分申請人村西に対して西入換制動方の徹夜勤務を、同長谷川に対して空制Aの徹夜勤務をそれぞれ命じる業務命令を通告した。

これに対して、右両名は「そんなもの一方的やないか」などといって抗議をし、更に当日の非番者や待命日勤者など一二名程度が助役室に入ってきて、口々に抗議を行った。

申請人らは同日他の管理者に対しても抗議をしたが、管理者は業務命令どおり仕事に従事するよう説得を重ねていた。

同日午後五時二〇分ころ、申請人両名が私服に着替えて退出しようとしたので、同駅助役ら三名は仕事に従事するよう説得し、このまま帰ると業務命令違反になる旨警告したのであるが、申請人両名はこれを無視して同日午後五時二九分ころ職場を離脱したものである。

(四)  本件勤務変更命令の適法性について

以上の経過からみて、本件勤務変更命令が適法であることは明らかであり、これに違反した申請人両名の懲戒処分が有効であることも明白である。

申請人らは業務命令自体の不存在ないし撤回を主張するが、それが事実に反していることも明白である。

勤務確定後の勤務変更は「やむをえない場合」に「本人の生活設計に十分配慮して」なされなければならないことは、申請人ら主張のとおりであるが、本件勤務変更は右の要件を十分に満たしてなされたものである。

即ち、人活センターの設置及び配置は、勤務予定表の公表後になされたものであり、かかる余剰人員に関する施策の実施によって生じる勤務変更が「やむをえない場合」に該当することは論を待たない。申請人らは七月五日以降に勤務予定表の編成替えが可能であった旨主張するが、前述したとおり、人活センターへの配置は二回に分けて行われる予定であったため、これが終了した時点で編成替えを予定していたものであり、それ以前に編成替えをするとかえって勤務の安定性を阻害する状況にあったのである。

更に申請人両名に対しては、いずれも前日に勤務変更を求めており、その際申請人両名は自己の生活上の支障を何ら告げなかった。他に勤務変更を打診した職員は、それぞれ明確に帰省の予定等の理由を明らかにしたのである。助役らは職員らの生活設計を配慮して、翌日徹夜勤務が可能な職員に対してその支障の有無を問い合わせたのであるが、申請人両名のみが生活上の支障を告げなかったばかりか、特に申請人村西は「尻ぬぐいをすると皆に笑われる。」と言って、人活センター設置に反対の立場から勤務変更に応じないことを示唆したのである。

右のところから本件勤務変更命令の適法性は明らかである。

(五)  本件業務命令違反の重大性について

企業がその目的を達成するためには、その人的構成要素である多数の労働者が一定の秩序の下で行動しなければ、円滑正常な企業運営は不可能である。近代的企業運営は、多数の労働者の提供する労務を多数の作業部門に配置し、企業目的に適合するよう組織化しているのであり、労働者は企業内の秩序に従って、企業の計画に必要な労務を提供しなければならないのである。労務指揮権は、このような企業の管理運営上の必要性にもとづき、使用者が労働者に対して、使用者の指揮命令にしたがって労務を提供するよう具体的指示を与える権限であり、この使用者の権限にしたがって労働者が行動しなければ、企業秩序は保ち得ず、企業の正常な運営は不可能となる。

殊に、被申請人は全国にまたがって定められたダイヤに従い、旅客・貨物の輸送業務を営んでいるのであり、列車の安全・正常な運行のため極めて多数の職員を種々の現場(営業、運転、施設、電気等の職場)に配置し、定められた指揮命令系統に基づきこれを有機的に組織しているのであるから、ある特定の作業現場で管理者の業務命令に違反する行為が発生すると、列車の安全、正常な運行を阻害する危険が生じ、その影響は計り知れないのである。本件梅小路駅における申請人らの当日の業務も、同駅に到着した貨車の仕分作業であり、これが正常に行われないと直ちに列車運行に支障を生じるものであった。

申請人らの職場放棄に対しては、管理者がその職務を代務したことにより、幸いにも右の事態は避けられたのであるが、申請人らの行為はかかる危険をはらんだ極めて重大な非違行為であり、右行為に対して本件懲戒処分がなされたのは当然のことである。

(六)  本件処分の相当性について

日本国有鉄道法三一条一項には、被申請人の職員が懲戒事由に該当するに至った場合に、懲戒権者たる総裁は懲戒処分として、免職、停職、減給、又は戒告の処分をすることができる旨規定されている。そして懲戒権者がどの程度の処分をなすかを決定するに当たっては、当該所為の態様等諸般の事情を斟酌して、被申請人の企業秩序の維持確保という見地からみて相当と判断した処分を選択し、その量定をなすべきである。そして右判断については懲戒権者の裁量が認められていると解するのが相当であり、当該行為との対比において甚だしく均衡を失する等社会通念に照らして合理性を欠かない限り、当該判断は裁量権者の裁量の範囲内にあるものとしてその効力が否定されることはないというべきである。

これを本件についてみるに、申請人らの行為は勤務時間の途中において職務を放棄し、管理者の制止を無視して職場を離脱したというものであって被申請人の営む定時に安全に旅客、貨物を輸送するという業務の運営を阻害する危険の極めて高い悪質な行為というべきであるから、本件停職六月という処分は相当であって、裁量権の範囲内にあることは明らかである。

第三証拠(略)

理由

一  申請の理由(一)1の各事実はいずれも当事者間に争いがない。

二  同(一)2の事実は当裁判所に顕著な事実である。

三  同(二)の事実中国鉄が昭和六一年一〇月一六日付で申請人両名に対して日本国有鉄道法第三一条により六月停職する旨の懲戒処分を発令したこと、その懲戒事由は、「昭和六一年七月一三日一七時二九分ころ、勤務時間中管理者の注意を無視して勤務を放棄し、よって業務の正常な運営に支障を与えたことは職員として著しく不都合であった」というものであったこと、等の各事実は、当事者間に争いがない。

四  次に、同(三)1(1)の事実及び同1(2)の事実中職員らの勤務体制が毎月二五日に作成公表される翌月分の勤務予定表によって明らかにされること、昭和六一年七月一三日までの勤務予定表の再編成を行わなかったこと、等の各事実は、いずれも当事者間に争いがなく、被申請人において昭和六一年七月一三日までの勤務の再編成を行なわなかったのは、(証拠略)並びに弁論の全趣旨を総合すれば、梅小路駅において設置された人活センターへの担務指定は、大阪鉄道管理局との打合せによって第一回の指定については、昭和六一年七月一〇日から一二日までの期間に、第二回の指定については、同月一七日から一九日までの期間にそれぞれ実施することになっており、人活センターへの職員の発令範囲は、第一回の指定については梅小路駅のみであったが、第二回の指定については同駅と共に山陰線に勤務する職員についてもその範囲内に入っていたこともあって、実施の都度勤務予定表を組替えると勤務予定の安定を欠くことになるため、当初は第二回指定の事前通知の終了後に勤務予定表の変更を行うこととし、それまでは、必要最少限度の個別の勤務変更で対処することを理由としていたからであること、しかしながら、同月八日以降申請人らの所属する国労組合員が人活センターへの担務指定に対し反対の意思を表明して抗議を繰り返す事態に至ったため、第二回目の担務指定は延期することとし、やむなく同月一一日に同月一五日以降の勤務予定表の変更を行ったこと、等の各事実が疎明され、他に右認定を左右するに足りる疎明は存しない。

五  同(三)1(3)の事実中申請人両名の職場において七月一〇日から人活センターに収容された職員らの勤務の補充を要することになり、同日人活センターに収容された饗場範男、園秀樹両名の勤務の補充のために茂岡淳一、森神一男に対して勤務変更がなされたこと、さらに、同月一二日には同じく大久保輝男の勤務補充のために高塚博に対して勤務変更がなされたこと、等の各事実は、いずれも当事者間に争いがない。

六  (人証略)、申請人長谷川英一の本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば、申請人両名の勤務する梅小路駅の業務内容は、主として京都、滋賀地区の貨物営業の拠点としてコンテナ、車扱貨物の取扱い及び湖東、京阪、山陰地区の輸送基地としての貨物列車の貨車の入換業務並びに京都駅終着となる山陰線、草津線の旅客列車の取込みや編成替えの入換業務を行っていること、申請人両名は、梅小路駅の西部運転に所属し、前記一記載の業務にそれぞれ従事しているが、勤務体制は一昼夜交代勤務であるところ、同駅においては業務を行うに必要な要員に対して配置されている職員の数が多いため日々の勤務操配上余剰となる場合については日勤勤務とされていること、また西部運転の作業については、空制、切り方、制動方、制動長、転てつ扱の順序で習熟を要し、通常、職員の運用も右の順序でなされていること、等の各事実が疎明され、右事実に反する証人上藪保道の証言部分は措信できないし、他に右認定を左右するに足りる疎明は存しない。

七  同(三)2(1)ないし(5)の事実中申請人両名の勤務が七月一一日に一昼夜交代勤務、一二日は非番、一三日は日勤、一四日は一昼夜交代勤務であったこと、猪之俣助役が同月一二日申請人村西の当時の自宅に、藤井武元助役が同日申請人長谷川の当時の自宅に電話したこと、同月一三日の申請人両名の勤務が一昼夜交代勤務に変更されたこと、申請人ら国労組合員が助役らに勤務変更に関して申し入れをしたこと、申請人両名が終業時間の同月一三日午後五時一〇分を過ぎたので退社したこと、等の各事実は、いずれも当事者間に争いがない。

(証拠略)並びに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が疎明される。

(一)  申請人両名の所属する西部運転では、昭和六一年七月一〇日饗場範男、園秀樹が人活センターへ担務指定されたため、同月一三日に右両名に対し予定されていた一昼夜交代勤務につき補填を要することになった。

(二)  ところで、右饗場、園らに対し人活センターの担務指定の事前通知がなされたのは、同月五日であったため、以後梅小路駅の西部運転所属の助役猪之俣幹雄、同藤井武元、同石川照英の三名は、右饗場らが正式に人活センターへ担務指定される予定の同月一〇日以後の勤務の補填につき交代要員の確保に努力していた。

(三)  しかしながら、申請人らの所属する国鉄労働組合は、人活センターへの担務指定は、余剰人員の固定化に繋がるものであり、また、同センターに担務指定されたものが国労組合員に集中していたため、人活センターへの担務指定に強く反対しており、要員の確保は容易でない状態であった。

(四)  同月一三日の当初予定の交代要員は、高塚博、井上厚、小山貞二であり、申請人両名は、同月一四日に一昼夜交代勤務が予定されていたためその対象には入っていなかった。

(五)  しかしながら、右高塚については、同月一一日に人活センターに担務指定された大久保輝男の交代要員として同月一二日一昼夜交代勤務に従事したため、同月一三日の同勤務の交代要員から外されることになった。

(六)  右井上については、同月一二日石川助役から翌一三日の徹夜勤務に従事できないかと口頭で勤務変更の打診を受けたが、右井上は、同月一三日日勤予定であったものを実家に帰るということで休暇を申し込んだうえ、その後承認されているところから、「休みは、母が病気なので子供を連れて帰る」と断った。

(七)  小山貞二については、同月一二日午後五時過ころ猪之俣助役から前同様に一三日の徹夜勤務の打診を受けたが、右小山は、「駄目です」と言って断った。

(八)  猪之俣助役らは、右三名の他にも順次西部運転所属の職員に対し前同様に一三日の徹夜勤務の打診を続けていたが、同助役において同月一二日午後零時三二分ころ電話で〓川和樹に対し連絡したところ、同人から「先送りになることだけのことだし、出来ない」と言って断られたため、同人は制動長担務であり、申請人両名と同様に一四日には徹夜勤務が予定されているうえ、一三日の徹夜勤務に交代させると一四日の制動長担務の勤務操配が困難となると考え断念することになった。

(九)  猪之俣助役は、稲荷孝美に対し同月一一日及び一二日の二度に亘り前同様の打診をなしたが、同人から「一三日は用事があるし、駄目ですわ」と拒絶された。

(一〇)  猪之俣助役は、井ノ口良孝に対し同月一二日午後七時四二分ころ電話で前同様の打診をなしたが、同人から「一三日はどうしても用事がある」と拒絶された。

(一一)  一方、石川助役は、中田正己に対し同月一二日午前一〇時五〇分ころ西部運転室で前同様の打診をなしたが、同人から「前日からの申込休暇でどうしても用事があるので駄目だ」と拒絶された。

(一二)  石川助役は、吉田正雄に対し同月一二日午後八時五〇分ころ電話で前同様の打診をなしたが、同人から「一三日、一四日は家庭の都合で子供をみるので駄目だ」と拒絶されるに至った。

(一三)  申請人村西は、同月一二日が非番日であったため自宅にいたところ、同日午後零時五〇分ころ猪之俣助役から電話で前同様の打診を受けたが、「俺はあさって徹夜でっせ、俺んとこへ頼みにくるのは、おかど違いと違いまっか、明日日勤以外できまへんわ」と断ったところ、その後電話の発信者が猪之俣助役から石川助役に代わり同助役から前同様に徹夜勤務を依頼されたものの、一三日夜は同年九月一五日に内定していた結婚式の打合せのため婚約者の家に行くという私的な用事が存したため、「明日日勤で用事もいれとるし、どうしてもあきまへんわ、自分が一方的に人活センターに入れといて、その穴埋に徹夜やってくれなんて勝手とちゃうか。こっちかて、いろいろ予定があるし、そんな仕事したら、みんな笑いまっせ」等と同助役に私的な用事の内容を告げることなく断った。

(一四)  他方、申請人長谷川は、同月一二日午後九時四三分ころ藤井武元助役から自宅に電話を受け、その際翌日の勤務につき予定されていた日勤から徹夜勤務で切り方の業務につけないかとの勤務変更の打診を受けたが、同申請人は、昭和五九年二月のダイヤ改正の際切り方から空気制動方に戻されており、切り方の仕事は徹夜勤務の際一時間ほど経験するに過ぎなかったうえ、同日夕方友人と会う約束も存したため、「ダイヤも変っているし、二年間もしていないのに出来ません、見習もさせないで、いきなり徹夜勤務をして怪我でもしたらどうするんですか、とにかく明日用事もあるし、所定の日勤で出勤します」と言って電話を切った。

(一五)  申請人長谷川は、翌一三日午前八時二〇分ころ出勤し西部運転室において昨晩の突然の勤務変更の話につき藤井助役に抗議している際何気なく机の上に置かれていた点呼表を見たところ、右表には自己が一三日の空制の一昼夜交代勤務に変更されていることを知った。

他方、申請人村西は、同日朝日勤の予定で出勤しところ、西部運転室において申請人長谷川が前記のように抗議していたため自己の勤務体制が心配となり点呼表を見たところ、昨日の電話の際何ら承諾したことはないのに一昼夜交代の勤務体制で同表に記載がなされていることを知ったため、申請人長谷川と共に勤務変更につき抗議していたところ、管理者である藤井武元助役から同日午前八時三一分ころ申請人両名に対し点呼表通りの勤務に従事せよとの業務命令が発せられるに至った。

なお当日猪之俣助役らによって立案された勤務変更は、制動長については、饗場範男に代って山本勝美が、制動方については、山本勝美に代って申請人村西が、切方については、園秀樹に代って西川辰美が、空制Aについては、西川辰美に代って申請人長谷川が、空制Bについては杉本幸正が配置されていた。

申請人両名は、当初予定された日勤終了後である午後五時二九分ころそれぞれ私的な要件で退出した。このため申請人らが退出した後の業務については、助役二名でその業務に就くに至った。

(一六)  他方、梅小路駅の東部運転においては、人活センターに担務指定された苗村善則及び病欠の本庄に代って勤務した森厳ら二名の同月一三日の一昼夜交代勤務につき補填を要することになり、東部運転所属の助役らから田中春男らに対し申請人両名と同様に同月一二日電話で打診があったものの、右田中らは断ったところ、翌一三日朝の段階では右田中らに依頼してきた点呼表の部分は欠員のままであり、その後東部運転所属の助役等の努力により、右田中らには申請人両名と異なり業務命令を発することなく、運転主任らが右田中らに依頼していた夜間部分の勤務に従事して業務を遂行するなど西部運転と異なる対応をしているが、勤務の補填を要した事情については、所属職員の人活センターの担務指定が存するなど特に西部運転と異なる事情はない。

(一七)  また、梅小路駅では勤務確定後においても月平均一〇件位の勤務変更が存するが、いずれも交代勤務に従事する者の同意のあった事案であり、申請人らに対し業務命令によって一方的になされた本件勤務変更とは事案が異っている。

右認定に反する(証拠略)の各記載部分、(人証略)の各本人尋問の結果部分は措信できないし、他に右認定を左右するに足りる疎明は存しない。

八  次に、成立に争いのない(証拠略)によれば、国鉄の就業規則細則職員勤務基準規程三三条には、<1> 勤務予定表は、毎月二五日までに翌一箇月分を作成し公表する。<2> 勤務は四日前に確定する。<3> 勤務確定後、やむを得ない場合は、本人の生活設計を十分配慮して勤務の変更を行うことができる、と規定していること、特に勤務当日に行う勤務変更は、本人の生活設計に対し最大限の配慮を行うなど、慎重に行うことが必要であると解されていること、等の各事実が疎明される。

そこで業務命令の適否につき判断するに、猪之俣助役らは、同月一三日の一昼夜交代勤務の補填につき、前記認定のように、その所属職員らに勤務変更の打診をなすなどして勤務操配につき努力したことは認められるものの、申請人両名は、同月一二日になされた勤務変更の打診に対し当初から拒絶の意思を強く表明していたうえ、その後用事がある旨を告げていること、また、仮に被申請人の主張のように、申請人両名が勤務変更を拒絶する意思を表明するだけで用事のある旨を告げていなかったとしても、猪之俣助役らは、人活センターへの担務指定により生じた勤務の補填のために、本人の意思に反してでも申請人らに翌日の一昼夜交代勤務の業務命令を発する事態に立ち至る事は、二、三日前からの経緯から電話の際に予想できたうえ、もし申請人らが右業務命令に従わないときは、同人らが懲戒処分に処せられる可能性のあることは管理者として当然予見できることであったから、同人らが勤務変更を拒否する意思を明確に示している限り、同月一二日の電話の際に、あるいは、同月一三日の朝業務命令を発する前に同人に用事の有無やその内容を問い正(ママ)すなど同人らの生活設計に対しきめ細かい十分な配慮をなして業務命令を発すべきであったというべきであるから、いずれにしても、申請人らの生活設計に対する十分な配慮を怠ったものと認められる。

ところで、申請人らに対する本件停職処分は、藤井武元助役が昭和六一年七月一三日午前八時三一分に発した申請人らに対する同日の一昼夜交代勤務を命ずる旨の業務命令を無視して同日午後五時二九分ころ勤務を放棄したことを理由とするものであるが、右藤井助役の発した右業務命令は、前記のように、勤務変更の要件である申請人らの生活設計を十分配慮しておらず、勤務変更の要件を著しく欠いたうえに発せられたと認められるうえ、前記一、四、五、六、七(一)ないし(一七)の各事実を総合して勘案すれば、無効というべきであり、このため右業務命令違反を理由とする本件停職処分もまた効力を生じないものといわざるをえない。

九  次に、成立に争いのない(証拠略)、申請人長谷川英一の本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すれば、申請人両名は、労働者として被申請人から支給される賃金によって生活を支えているものであるが、本件停職処分発令の日から勤務に従事しておらず、給与は基本給の三分の一のみ支給されているのにすぎなかったこと、申請人長谷川は、右停職期間中家族や友人に借金しながら生活を支えてきたこと、同村西においては、停職処分が発令される前に結婚したため右期間中生活を支えるために困難をきたしていたこと、等の各事実が疎明され、右認定に反する疎明は存しない。

一〇  そうすると、本件仮処分決定は、その余の判断をするまでもなく理由があり、取り消すべき事由は存しないから、当裁判所が昭和六二年二月一八日になした本件仮処分決定を認可することとし、訴訟費用は民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 水口雅資)

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